祝福を受け継ぐために    加藤 誠

「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(第一ペトロ3・9)

「ペトロの手紙」はキリスト教への迫害が厳しい時代、多くの異教徒に囲まれて暮らす信仰者を励ますために書かれた手紙です。的外れな不当な評価、悪意あふれたうわさ話に傷つけられる時、私たちは何とか「それを打ち負かす力をもちたい」と願いがちですが、ペトロは神につながる「静かな祈りの力」を説くのです。「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだ」と。

 

 先日、八八歳で神のみもとに召された野村宏子さん(札幌教会)というクリスチャンがいます。五〇数年、故アニー・フーバー宣教師と共に北海道の福音宣教に尽くされた方です。野村さんは神戸の伯父さん宅で家事手伝いをしていた十九歳の時、隣りに引っ越してきたロバート・シェラー宣教師を通してヨハネ福音書の抜き刷りを手にしますが、他宗教を信仰しておられた伯母さんに取り上げられ破り捨てられてしまいます。泣きながらお詫びする彼女にシェラー先生が「大丈夫」ともう一冊手渡すと、彼女は「いつ取り上げられてもいいように」とヨハネ福音書を一所懸命に暗唱したそうです。一九五〇年のクリスマス、バプテスマを予定していた礼拝に伯母さんから用事を言いつけられて出席できず、夕方泣きながらやってきた彼女は、夜たった一人でシェラー宣教師からバプテスマを受けたのでした。以来六九年間、野村さんは神からいただく「静かな祈りの力」に支えられて「祝福を受け継ぐ生涯」をまっとうされました。

 今朝、聖書が語る「祝福の道」に聴いていきましょう。