礼拝が建てられ、人々が建てられ   加藤 誠

「今こそ、心と魂を傾けてあなたたちの神、主を求め、神なる主の聖所の建築に立ち上がれ。」(歴代誌上22・19)

 

毎週水曜の朝祈祷会でわたしが担当する時は、大井教会の「聖書日課」に沿ってメッセージを取り次ぐのですが、一月四日、今年最初の祈祷会は奇しくも歴代誌上二十二章「ダビデの神殿建築」の箇所でした(冒頭聖句)。

生涯の悲願であったエルサレム神殿建築に、王ダビデがどれだけ情熱を注ぎ準備を重ねてきたのかが二十二章には記されています。ダビデ自身は戦争で多くの血を流したゆえに主なる神から神殿建築を許されず、息子ソロモンにその事業を託すのですが、ダビデは神殿の土地を自らの資金で買い求め、建築に必要なすべての資材(材木、石材、金、銀、青銅、鉄など)を整え、石工・大工などあらゆる分野の職人をそろえ、さらに神の霊を受けて描いた設計図をも用意してソロモンに建築を命じていきます。

今回の聖書の学びでわたしがハッとさせられたのは、二十二章でダビデは「建築に必要なものはすべてそろえた!」と言いながら、すぐに神殿建築に取りかかるのではなく、まず日々の礼拝を整えるために必要なレビ人、祭司、詠唱者(聖歌隊)、門衛など奉仕者の働きを整えている点です。建物は大切ですが、それに先立って日々の神礼拝と奉仕者の整えが大切だと言うことでしょう。

大井教会の「新礼拝堂建築」という事業も、まずは大井教会が礼拝共同体として整えられ、その働きが充実していくことの大切さを示されるのです。このたびの新礼拝堂建築が、それぞれの暮らしの真ん中に礼拝が建てられ、人々が建てられていく働きになるよう祈りたいのです。