恵みの御業を喜び歌う   加藤 誠

イースターの喜びの日、パキスタンの遊園地で自爆テロが起こり、子どもたちを含む大勢の人々の命が失われ、直後にパキスタン・タリバーン運動の分派組織が「イースターを祝うキリスト教徒を狙った」との犯行声明を出しました。人間が抱えている狂気の深さ、その救いがたさを考えさせられます。

 

主イエスが十字架に向かう決意を固められた頃、その主イエスに反抗し、露骨に邪魔する人々を見た弟子たちは正義感に燃えてこう進言します。「先生、天から火を降らせて、この人たちを滅ぼしてしまいましょうか」(ルカ9・54)。どこまでも神の御旨に背き続け、救いようのない人間。そのような人間はすべて滅ぼしてしまう。その方法は問題を一気に解決する、一番の近道に見えます。しかし、神はその道を選ばれません。主イエスは自ら十字架に向かいます。このどうしようもない人間を救うために。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)。自分をののしり、唾を吐きかける人々の真ん中で祈り続ける主イエスの十字架は、今も、わたしたちの間に立ち続けています。

 

「神よ、わたしの救いの神よ。流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います」(詩編51・16)。神の恵みの御業は、わたしたちを「流血の災い」から救い出すものであり、イエス・キリストの十字架においてその恵みの御業は成し遂げられました。ですから、キリスト者の使命はこの恵みの御業を喜び歌い続けることです。主イエスの深く厳しい祈りの闘いを知る者は「流血の災い」を断ち切る闘いに招かれているからです。