怒るヨナ、惜しむ神    加藤 誠

「ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った」(ヨナ書4・1)。

 

ニネベの人々がヨナの語る言葉を素直に受け入れて悔い改め、神が災いを下すことを止めたと知ったヨナは、怒りだし、へそを曲げます。自分が命懸けで語った言葉にニネベ中の人々が聴き従ったのですから、「預言者冥利」に尽きるほかない状況で、なぜヨナは「怒った」のでしょうか。

ヨナの不平不満を要約すると「災いを思い直した、神の慈しみ深さが気に入らない」ようです。というのも、ヨナにとって異教徒であるニネベの人たちは「決して赦されてはいけない人々」だったからでしょう。これは当時のユダヤ教徒の「常識的信仰」でもありました。選ばれし民である自分たちは神の慈しみを受けるが、異教徒のニネベの人々が神の慈しみを受けて救われることは「受け入れがたいこと」だったのです。

しかし、そのようなユダヤ教徒の「常識的信仰」に「ほんとうにそうだろうか?」と鋭い批判を向けているのが、この「ヨナ書」です。「神は、異教徒たちを深く慈しみ、神に真に立ち帰ることを祈っておられる。神の慈しみはユダヤ教徒と異教徒の垣根を超えて豊かに注がれているのだ!」と。

 

怒り、へそを曲げ、座り込むヨナに、神はねんごろに語りかけます。「どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか」。さて、この神の問いかけにヨナは何と応えたのか。その反応を描くことなく「ヨナ書」は筆をおきます。まるで「あなたがヨナなら、なんと応えるか」と問いかけ、新約聖書のイエス・キリストにバトンを手渡していくかのようにして。