平和、汝らにあり!   加藤 誠

「そこへ、イエスが来て真ん中に立ち『あなたがたに平和があるように』と言われた」(ヨハネ20・19)。

弟子たちはマグダラのマリアから主イエスの復活の知らせを聞いたにもかかわらず、恐怖に支配され、家中の戸に鍵をかけて閉じこもっていました。その真ん中に主イエスは立ち、「平和、汝らに」(直訳)と告げます。新共同訳は「あなたがたに平和があるように」と訳していますが、ボンヘッファーは「やがて平和が来るだろうでも、平和が来るようにでもない。『平和、汝らにあり!』と訳すべきだ」と言っています。なぜなら、これを語っているのが他でもない、十字架において「敵意という隔ての中垣を壊して平和を実現された」(エフェソ2・14)、主イエスご自身だからです。たとえ、大きな恐怖を覚えざるを得ない厳しい現実に囲まれていたとしても、「平和であるわたしがあなたがたの真ん中にいる!」と主イエスが宣言されているというのです。

二週間前、わたしたちは喜びと希望あふれたイースター礼拝の一日をいただきました。「主イエスはよみがえられた!」。イースターの知らせを受けたわたしの日常はどのように変えられ、わたしの祈りや隣人との関係はどう変えられてきているでしょうか。相変わらず、自分の小さな正義にとらわれ、他者の視線を気にし、誰かを悪者にして自分の責任を回避している自分の日常の姿を問われます。まるで、復活の知らせを受けても家の中に閉じこもっている弟子たちと同じはないか、と。イースターは二週間前に終わった出来事ではなく。今日、わたしたちの真ん中に立ちたもう方の言葉を聴く出来事なのです。