巻頭言「隣り人と神とつながる命 加藤 誠」

 あけぼの幼稚園は、先週六月一日(月)から年少・年中は週二日、年長は週三日登園する形で保育を始めました。約二か月半、園庭から子どもたちの声が消え、池上通りや滝王子公園からも子どもたちの姿が消えてほんとうに寂しい日々でしたが、ようやく主人公たちが戻って来てにぎやかさを取り戻しつつあります。ただ新型コロナのために、大きな声で思いきり賛美歌を歌えない、お友だちや先生と手をつないだりハグできない、肩を寄せ合ってお祈りすることもできない…など、保育のあり方が大きく制約される中、教師たちは戸惑い、緊張し、試行錯誤しながら、それでも子どもたちが幼稚園で過ごす時間が笑顔あふれる場となり、神さまとの大切なつながりが育まれるようにと日々心砕いています。どうか幼稚園の働きを覚えて篤いお祈りをお願いします。

 さて、登戸で起こった悲しい事件から一年。小学校六年生のAさんが亡くなったカトリックの小学校で追悼ミサが行われたニュースの中で、Aさんのクラスで毎朝の出欠の際、担任がAさんの名前を呼び、クラス全員が「はい」と返事することを卒業まで続けたと聞きました。Aさんの名前を呼ぶ担任教師、そして返事をする子どもたちの気持ちを考えると胸が深く痛みます。そのような痛みを覚えながらも、Aさんの名前を呼び続ける意味は何なのだろうかと考えさせられました。一つ思い至ったことは、私たちが、「心の中に誰かを受けていく」とき、「神の前に共に生きる命とされる」のではないかということです。自分以外の誰かの痛み、悲しみ、叫び、悔しさ…に触れて、その人を想い、共振する部分が心の中に生まれていく時、私たちは「隣り人とつながり、神とつながる命」とされていくのではないか…と。皆さんはどう思われますか。