巻頭言「希望に向かう命 加藤 誠 」

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる」、「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」(ヨハネ11・25、16・20)。

イエス・キリストと出会う時、「死に向かって生きる命」は「希望に向かって生きる命」に変えられていく。福音書にはその証言があふれている。

主イエスが道を歩いておられた時に、生まれつきの盲人を見られた(ヨハネ九章)。生まれつき盲人であること。二千年前の社会で、それは「呪いに満ちた宿命」を生きることを意味した。けれども主イエスとの出会いを通して、盲人の「呪いに満ちた宿命」は打ち砕かれ、彼の中に賛美が湧き起こされていく。彼の人生は「神の御業があらわされる、希望の人生」に変えられたのだ。

また、死の病によって最愛の弟を奪われたマルタとマリアの姉妹は泣き崩れていた(ヨハネ一一章)。彼女たちのSOSにすぐ応えて来てくれなかったイエスへの不信も渦巻いていたかもしれない。「イエスさま、なぜですか?」。動かしがたい現実でありながら、受け入れられない混乱と失望と悲しみと。それが死だ。しかし主イエスが私たちの人生に関わってくださる時、その死すらも希望に向かう出来事に変えられていく。

死から希望の命への方向転換。それが復活である。

回れ右をして、これまでと逆に向かって歩み始める。それまで右に見えていたものが左に、左に見えていたものが右に見え始めること。主イエスが与えたもう希望の命を知る時、私たちの「自己満足の喜びを求める道」は「神の喜びに向かって隣り人とつながって生きる道」に変えられていくのだ。