巻頭言「主を待ち望む信仰 加藤 誠 」

教会の暦で「待降節」(アドヴェント)を迎えました。「主を待ち望む」ことをいつも以上に意識して過ごすクリスマスまでの四週です。

聖書の信仰は「主を待ち望む信仰」です。

「わたしは主に望みをおき/わたしの魂は望みをおき/御言葉を待ち望みます。わたしの魂は主を待ち望みます/見張りが朝を待つにもまして/見張りが朝を待つにもまして」(詩編130・5~6)。

「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(口語訳:イザヤ40・31)。

 ただ「待つ」のではない。希望をもって「待つ」のです。何を、でしょうか。「主とその御言葉」です。なぜなら主のもとには「慈しみと豊かな贖い」(詩編130・7)があるからです。主イエスが教えてくださった「主の祈り」によれば「御名があがめられ、御国が来て、御心が天になるごとく地に実現すること」を熱く待ち望むのです。それは、私たちの願いごとを主にぶつけていく祈りとは正反対の矢印を持つ祈りを学んでいく歩みです。

 このアドヴェントと共に私たちは「世界バプテスト祈祷週間」をいただいています。教会が自己保存的な、自分たちの願いごとの祈りに傾きがちな時に、教会の祈りを世界に向けて外向きに開かれていく貴重な時です。ルワンダ、シンガポール、カンボジア、インドネシアから届いている祈りの課題に心を向けながら、私たちの願いごとではなく、主の御心の実現を待ち望み、祈ることを学び、そしてささげていきたいのです。