巻頭言「キリストはここに! 加藤 誠 」

 聖書の信仰は、今回の「新型コロナウィルス禍」のような疫病禍をどのように受け止めるのでしょうか。その場合、旧約聖書と新約聖書では疫病に対する理解に「違い」があることを注意する必要があります。

 旧約聖書に登場するイスラエルは遊牧民族であり、古来から動物を発生源とする疫病に悩まされたようです。しばしば原因不明の疫病によって多くの人々が命を落とし、時には軍隊が一夜にして壊滅的打撃を受けることもありました。旧約の律法では、疫病にかかった者を「神の裁きを受けて、ケガレた者」と見なして集団生活から一定期間隔離することなどを定めています。

 それに対してイエス・キリストは、疫病のために人びとが近づくことを恐れ隔離された者たちに積極的に接触していかれました。彼・彼女たちは決して「神の裁きを受けたケガレた者」ではなく、「神の愛に生かされている一人ひとり」であることを示されたのです。この神の愛を知らされ、神の愛に救われたキリスト者もまた、疫病を神の裁きとして見ることなく、どんな過酷な状況にある一人ひとりも「神の愛/キリストの愛」から引き離されることはない(ローマ8・35)という信仰を生きるよう招かれています。

 一四世紀半ばに大流行し、当時のヨーロッパの人口の三分の一を死に至らしめたペスト(黒死病)は、その後も散発的に大流行して人々を苦しめました。一六世紀初頭、マルチン・ルターが居たヴィッテンベルグの町をペストが襲った際、時のザクセン候はルターたちに退避を命じましたが、ルターはこれに従わず町の病人や教会員をケアするために残りました。この時、ルターを支えたのが「キリストはここにおられる!」という信仰でした。今朝は、その信仰について聖書から聴いていきたいのです。