巻頭言「ただ、神の国を 加藤 誠 」

「ただ、神の国を求めよ。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ12・31-32)。

 先週に続いて今年度の主題聖句を思い巡らしてみたい。

ここで「求めよ」と言われている「神の国」とはどういうものなのだろう。

福音書を読み直すと、「神の国」(天の国)とは主イエスが人々に伝えた「福音」(良き知らせ)である。「神の国」は「神の愛、喜び、安らぎ、希望」と言い換えることができる。からし種やパン種のように、ほんのひとつまみで大きくふくらみ、世界を変える力がある。小さな子どもは「神の国」に入ることができるのに、金持ちが入るのは難しい。なぜなら「神の愛、喜び、安らぎ、希望」は神からのプレゼントであり、「みんなのもの」として分かち合うように与えられているのに、金持ち(エリート)はあたかも「神の国は自分だけのもの」と考えて独占しようとするから。不思議なことに「神の国」は分かち合うほど小さくなるのではなく、大きくふくらんでいくものなのだ。その「神の国」の不思議を体験できるのは、自らの小ささを知っている者たちなのである。

 昨年来日したローマ教皇は「無関心のグローバリズム」という言葉を用いて、「むなしいシャボン玉の中に閉じこもり、はかない夢を見ながら、他者への関心を失っている利己主義が急速に世界を広がっている危うさ」を指摘し、「それに抗しうるのは分かち合い、祝い合い、交わるわたしたちしかない」と語っている。戦後七十五年目の夏、私たちは「みんなのもの」として与えられている「神の国」をどのように分かち合い、祝い合い、交わっていくのだろうか。