受け入れ、応答する人生   加藤 誠

わたしたちは「合同学習会」で広木愛牧師の「信仰告白」と「召命告白」を共に聴きました。その「信仰告白」に記されていた「信仰はイエス・キリストを救い主として受け入れ、人生をもって応答することです」という言葉を思い巡らしています。

「信仰はイエス・キリストを救い主として受け入れること」。
「救い主として信じる」ことをわたしなりに言い換えれば、イエス・キリストにあらわされた「神の愛と赦し」を受け入れることであり、わたしたちのためにイエス・キリストを送って下さった神を「人生の最終責任者」として受け入れることです。Nさんはクリスチャンになった直後に、夫が交通事故で負傷し、それまで築いた会社でのキャリアを失ってしまいます。トップの成績が最低ランクに落ちてしまったのです。しかし、Nさんはクリスチャンになっていてほんとうに良かったと言うのです。聖書の御言葉があったからこそ、教会の友がいてくれたからこそ、最大の困難の中にも神の愛を信じることができ、不思議な平安に守られた…と。

「信仰は人生をもって応答すること」。
わたしたちはそれぞれ人生において自分が思い描く夢を追及しますが、「神からいただくビジョンをイエス・キリストと共に歩むこと」を祈り願うのが信仰の歩みです。先ほどのNさんは、暗い絶望にしか見えない困難の中に、神がわたしたちに「より良いもの」を与えてくださる導きを感じることができたと言います。わたしたちが思い描く夢より、はるかに「より良いもの」を神は用意してくださっている。そこに真の祝福があるのです。