十字架のイエスこそ、キリスト   加藤 誠

『神殺しの日本』という本で、梅原猛氏は次のように述べています。
西洋は近代化の過程でキリスト教の神を否定し、ドストエフスキーは神を失ったゆえに道徳と倫理を失い崩壊していく人間を描いた。日本は明治維新において西洋の科学文明を導入し近代化を進めるため、廃仏毀釈により、天皇という現人神以外の伝統的な神々をすべて殺した。そして現人神への信仰に基づいた教育勅語という道徳で国民を教育し、人々の心を結集させて欧米列強に対抗しようとした。が、手痛い敗戦によって、その現人神も死んだ。そう見ると、日本は西洋よりも徹底して神仏を殺してきた国なのだ。青少年だけでなく、政治家も官僚も学者も芸術家も宗教心をさらさら持とうとせず、それゆえに人間としての生き方、倫理、道徳を持ちえず、崩壊し続けている。現代の科学技術文明は、わたしたちに生き方を教えることはできないし、教えることはないのだ、と。

「宗教は恐ろしい」。確かに反社会的な行動、殺人やテロを正当化し、人々をマインドコントロールする悪魔的な力をふるう宗教があります。悪魔的とは、人を見えなくさせ、聞こえなくさせ、考えなくさせることです。一方で、イエス・キリストが示した神は、人を見える者にし、聞こえる者にし、考える者に覚醒していく力です。神を愛するためと言って隣人に無関心になる道ではなく、神を愛することと隣人を愛することを重ねていく道です。イースターに届けられた「十字架のイエスこそ、キリスト(救い主)」という告白。それは、自分が生かされている意味を思いめぐらし、隣人の存在に心動かされながら、わたしはどう生きるのかを問う者にされていく道です。