創造主の涙   加藤 誠

七十二年前の「はじめての核兵器の使用」がどのような地獄を生み、その悲惨がどれだけの命を痛め続けてきたか。その歴史事実に聴き続け、「絶対悪」としての「核兵器」を廃絶する課題にどう取り組むのか。これは創造主なる神を信じるキリスト者に突きつけられている重い問いです。

主なる神は、人を神に「似せて」造られました(創世記1・26)。それは神が対話し、協働するパートナーとして人を造られたことを意味します。神が人に自由意志を与えられたのは、神の指令を受けて動くロボットではなく、自分で考え、悩み、選び取り生きる、パートナーとして協働する人を期待されたからです。しかし、人はその神の期待を裏切り、人の悪が地上を覆いました。
「地は神の前に破滅していた。地は暴虐に満ちていた」(同6・11岩波訳)。
洪水が地を破滅させたのではありません。洪水の前に、地は人の悪によってすでに破滅していたのであり、その地を神は水の中に沈められたのです。
「地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。」(同7・23)
聖書の中でこれだけ厳しく悲しい記述はありません。創造主なる神が愛を注いで命を吹き込んだものたちを、自らの手で水に沈めなければならないとは。それゆえ、わたしは「洪水とは創造主の涙を意味するのではないか」と考えます。それは破滅のための「涙」ではなく、新生のための「涙」です。ノアたちは「創造主の涙」をくぐり抜けて新しい命を生きる使命を託されます。「もう決して、人間同士で血を流してはいけない!」(同9・5)と。この創造主の言葉は今もイエス・キリストの十字架を通してわたしたちに向けられています。