共に恵みにあずかる    加藤 誠

先週の定期総会で、今年度の活動方針主題・聖句が協議され承認されました。

主題「主イエス・キリストこそが、私たちの土台」。聖句「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」(フィリピ1・27

企画推進チームの提案と説明、議論を通して問われたこと。一つは「大井教会の礼拝、活動、交わりはキリストを土台としたものと言えるか?」、「わたしの日常は、キリストを土台とした歩みになっているか?」という問いであり、もう一つは「十字架で殺され、復活されたキリストを土台とするということは、この短い時間ですんなり承認されていいことなのか?初代教会の人々が戸惑い、怖じ気づき、激しく揺さぶられた十字架のキリストを土台とすることは、そんなに自明で、さらっと聞き流せる言葉ではないはずだ」という問いでした。

そこでペンテコステまでの間、「キリストを土台とすること」、しかも「十字架のキリストを土台とすること」の意味を、「フィリピへの信徒への手紙」を手がかりに考え思い巡らし、受けていきたいと思うのです。

 

使徒パウロはフィリピ教会宛に「喜びの手紙」を送ります。パウロは福音宣教のために牢獄に囚われていましたが、その心はいつも喜びにあふれていました。その喜びの源には、「あなたがたのうちにあって善き業を始めた方は、キリスト・イエスの日まで、それを完成し続けるであろう」(1・6岩波訳)という確信、すなわち、教会を最初の日から今日まで建て続けておられる神の働きへの深い確信があったのです。どんな時にも、どんな状況でも、神は善い業を起こし続け、完成し続ける。この確信がパウロとフィリピ教会の人々の間に「共に恵みにあずかる者」としての連帯を生む源になったのでした。