信仰に必要な熟慮    加藤 誠

ルカ福音書十四章二五節以下は、なかなか理解の難しい箇所です。主イエスは弟子たる者に「家族関係も財産も、すべてを捨てよ」と厳しく求めながら、同時に「腰を据えて計算せよ」と語っています。いったい「捨てること」と「計算すること」はどのように結びつくのでしょうか。

 

ここで主イエスが厳しく「捨てよ」と求めているのは、「自己愛」や「物質欲」に結びついた「家族や財産への執着」でしょう。家族は私たちが愛するように招かれている最も身近な隣人です。ただし、「主イエスがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と教えられているように、わたしが家族を「自己愛」で愛するのか、主イエスが示された「神の愛」で愛するのかは、天と地の違いがあります。また財産も、私たちが「物質欲」に根ざした執着を捨てない限り、「神の愛」に基づいたふさわしい用い方をすることはできません。

わたしたちが「神の愛」に根ざして隣人を愛し、「神の愛」にふさわしい財産の用い方をしていくために、主イエスは「自己愛」や「物質欲」に基づいた執着を「捨てよ」と厳しく求められたのです。

 

同時に、主イエスは「塔の建築」や「戦争」に求められる計算を引き合いに、信仰に必要な熟慮を語ります。「塔の完成」や「戦争の勝利」のために「まず腰を据えて計算すること」が必須であるように、「あなたの人生を完成と勝利に導くものは何か、神の国の豊かさに生かすものは何か」をしっかり腰を据えて考え抜きなさい、と。十字架を背負い歩まれる主イエスの背中を見つめつつ、捨てるべきもの、選び取るべきものをしっかり見分けていきたいのです。