今や、それは芽生えている   加藤 誠

「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」(イザヤ43・19)。企画推進チームが祈りつつ、2015年度の主題「『共に』教会を形づくる―祈り、ささげる―」に併せて、主題聖句としてこのイザヤ書の言葉を選びました。今日午後の定期総会に提案されます。
紀元前6世紀、預言者イザヤを通してこの言葉を届けられた人々は、徒労感と深い絶望の中にありました。祖国を失い、遠くバビロニアに移住させられて、強制労働に苦しめられる毎日。「かつて先祖たちがエジプトで奴隷とされていた時には、神の偉大な業が解放に導いてくれたのに、いまは神の働きの兆しも見ることができない…」と、ため息をつく人々に対してイザヤは語ります。「昔のことを思いめぐらすな」(43・18)と。過去を懐かしむのではなく、「今、わたしたちと共に歩み、生きて働いておられる神の働きにこそ、しっかり心を向けよ!」と、心の方向転換を促すのです。

復活の主イエスは、信じ従うことに挫折した弟子たちの前に立ち、「聖霊を受けよ」と言って息を吹きかけ、世界に向けて派遣されました。この復活の主の息を受ける限り、教会は建てられ続けます。いろいろな破れや弱さを抱えていたとしても、大丈夫。いろいろな数字が「右肩下がり」でも、大丈夫。「新しいこと」を起こすのは、わたしたちの知恵でも財力でもなく、復活の主の生ける働きだからです。「わたしが生きているので、あなたがたも生きるようになる」(ヨハネ14・19)。大切なことは、この方の息を受け続けることです。わたしたち自身の肩の力を抜いて、この方への信頼をもって祈り、感謝をささげていくことです。そこに教会が「共に」形づくられていきます。