二〇一九年、わたしの祈り

◆六十数年前バプテスマを受ける時、自分はルビコン川を渡ることになるが、あとで後悔しないだろうかとふと不安を感じました。これは全くの杞憂でした。孫の世代にもこの幸せをぜひ味わってほしいと願っています。(Y・K)

◆不安・悲しみの中にある時、信仰が揺らぐ自分がいる。しかし神様はどんな時も、そのような私を繋ぎ止めてくださり今の自分がある。「いささかも疑わず信仰を持って願いなさい」のみ言葉を心に留め新しい年を歩みたい。(M・F)

◆色々な場でご奉仕の機会を与えられていることに感謝します。今年は四月に転職を控え、変化の多い一年となりそうですが、これからも常に喜びを持って、神様から頂いた賜物を生かすことができますよう強めてください。(S・T)

◆後期高齢の今、遠方より毎週の礼拝を楽しみに教会に通っています。聖書に「年を取りわたしには何の楽しみもないと云うようにならない前に」とあります。若い日に信仰をいただきこのみ言葉の真実を生かされて感謝。(N・E)

◆幼き日、言葉がいっぱいだった。若い時、願望、訴え、怒りであった。しかし今や老年期の入口、祈りは平凡な言葉に置かれる。言葉の狂気はいらない。近い人々よ幸多かれ、遠い人々よ平和であれ。行き着くは沈黙の祈り。(Y・A)

◆「自己中心」が世の中に蔓延しています。しかしまずは自分自身を振り返り、教会に集う者として様々な身近な場面(職場・コミュニティ・教会など)で他者を理解し尊重しお互いを認め合える者となれるように祈ります。(M・N)

◆二〇一八年を振り返り、神さまからの恵みを思いました。日々疲れ切っていても、日曜日に教会へ向かうことが赦され、道のりも守られました。小さな自分ですが、今年も神さまの恵みに感謝して祈ることができますように。(S・H)