主日から主日へ   加藤 誠

2017年は、主日の元旦に始まり、主日の大晦日で終わる一年です。

「主日」は「主の日」のこと。初代教会の人々は主イエスの復活された日曜日を「主の日」と呼び、共に礼拝をささげ、主の晩餐式において主イエスの十字架の死と復活の命にあずかり、新しい一週間を始めたのでした。

「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」(黙示録22:13)。わたしたちの始まりと終わりに立ちたもう主イエスを覚えつつ、主日礼拝をもって新しい年を始め、主日礼拝をもって一年を締めくくっていく。2017年は大井教会にとって新礼拝堂建築準備の年であり、わたしたちの生活を主日礼拝中心に整えていく恵みの一年にしたいのです。

 

主イエスに重い皮膚病を癒されたのに、感謝を伝えに主イエスのもとに戻ってきたのは一人のサマリア人だけだったというエピソードは、いろいろと考えさせられる話です。一つは「信仰」ということ。彼ら十人は「祭司のところに行って、からだを見せなさい」という主イエスの言葉を聞いただけで、まだ何も癒されてない段階で一歩を踏み出しています。目に見える根拠も証拠も手にしていないのに一歩を踏み出す。他人から見たら馬鹿げた行動かもしれない。しかし、主イエスへの信頼から始める一歩を「信仰」というのです。

もう一つは「感謝」ということ。九人は「祭司の癒しの証明を受けてから」と考えたのかもしれませんが、主イエスのもとに戻ってきた一人は、「途中」で引き返したのです。わたしたちがする「感謝」の多くは「結果を手にしてから」することが多いのではないか。しかし「途中」で気づいた時に、気づいただけの恵みを神に感謝していく。そこに「感謝」の要諦があるようです。