主イエスを「食べて生きる」 加藤 誠

 教会は、主イエスのビジョンを「共に」分かち合っていくところに建てられていきます(ヨハネ6章1節~14節)。
弟子たちが自分たちの現実的で常識的な「枠」にとどまっている限り、彼らは五千人以上の人々が満腹する奇跡を経験することはありませんでした。人々を前に「何か食べるものを分かち合いたい」と願われた、その主イエスの願いとビジョンに聴き従うところに、教会は建てられていくのです。
 しかし、この主イエスへの信仰は、常に吟味が求められます。聴き従っているようで、「独りよがり」の信仰に陥っていることが多いからです。主イエスを「自分たちを満腹させてくれる王」として追い回す人々を、主イエスは拒否されました(15節、26節)。「教会の主」は、人々のお腹を満たしてくれる、人間に都合よいメシアではないからです。また主イエスが「天から降ってきた命のパン」「生きたパン」としての使命を示すと、「誰がこんな話を聞いていられようか」(60節)と、弟子たちの多くが離れ去った(66節)と聖書は記しています。主イエスを「食べて生きる」(57節)とは、「すべて納得」の道とは限りません。時には「不可解な神の御旨」を食べていく道でもあります。

 シンガポール国際日本語教会(IJCS)に新たに伊藤世里江牧師が立てられることになりました。教会と伊藤牧師、それぞれの決断を覚えて祈ります。そして、できるならIJCSという「窓」を通して、大井教会がアジアにおける主イエスの働きにいつも心開かれていきたいと願うのです。自分たちの「枠」にとどまるのでなく、主イエスの願いとビジョンを「共に」分かち合っていくために。今週14日には大谷恵護先生とレニー先生のシンガポール伝道報告会が開かれます。あなたの「窓」はどこに向けて開かれていますか。