主イエスの“しかし”     加藤 誠

『目には目を、歯には歯を』。これはハンムラビ法典の言葉として有名ですが、旧約聖書の出エジプト記二一章にも記されている戒めです。もともとは「同害報復」といって、「報復のエスカレートを抑制するための戒め」でした。歯を折られたからといって、相手をなぶり殺しにすることがあってはならない。「同害の報復までは権利として認める」という昔の人々の知恵でした。

 それに対して、主イエスは「報復を権利として考える」こと自体を厳しく問いかけ、「権利の放棄」を呼びかけるのです。

 「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかが右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい」(マタイ5・39)。

 ここで「悪人に手向かうな」と訳されている部分は「悪に手向かうな」とも訳しうる言葉です。前者なら、悪人に対して何も抵抗せずになすがままにされる「無抵抗」を意味しますが、後者の場合は、相手に対して「それは違う」と抵抗の意思を示しながらも、暴力(悪)をもって相手を撃つことはしないという「非暴力抵抗」の意味になります。主イエスの生き方を見つめるならば、後者の「非暴力抵抗」がしっくり重なる気がします。間違っていること、歪んでいることに対しては「それは違う、おかしい」と発言しつつも、決して暴力に訴えることなく、祈りをもって真摯に相手に語りかけ、高い精神性をもって向かい合っていかれたのが、主イエスの生き方だったからです。

 

 「正義のためならば、暴力的手段も正当化される」と声高に語られる世界にあって、主イエスが私たちの心に打ち込まれた“しかし”という言葉。そこに響く平和への熱い祈りを今朝、大切に聴き取っていきたいのです。