主が共に働く   大内 勝美

東日本大震災が起きたとき、私は海上保安庁に在職していて、巡視船の船長をしていました。横浜港から直ちに東北沖に向かいました。日本にとっても私にとっても大変な時でした。津波による行方不明者の捜索をし、十五人の遺体を揚収しました。避難所で歓談している中でただひとり目を真っ赤にしている人がいました。また、土台だけになった家に花をたむける人がいました。わたしはとても話しかける勇気もなく、何も出来ない自分がいました。東日本大震災、熊本地震、台風や大雨などで災害に遭われた方を思う時、わたしたち人間にとって「災い」にしか思えないことをどう受け止めたらいいのか、考えさせられます。

ローマの信徒への手紙に「万事が益となるように共に働く」(8・28)という言葉があります。私たちの目にはなぜこんなことが…と思うことがどのように「益」になるのか。難しいことです。しかし、この言葉を繰り返し読む中で、「共に働く」ということの方が大切なのではないかと考えるようになりました。同じローマの信徒への手紙に「キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです」(8・17)とあります。私たちの目には「災い」にしか見えない出来事の中にもイエス様が共にいて下さるので、そのイエス様と私たちが共に歩む時、神さまは「万事を益に変えてくださる方」なのです。

またパウロは「わたしたちは知っています」と語ります。聖書を与えられている私たちは、「すべてのことが益となるように、主なる神が一緒に働いてくださる実例」をたくさん見て、聞いて、知っているのではないでしょうか。

ですから、恐れたり心配したりしないで、イエス様を信じ、神さまを見上げていきたいと思います。