クリスマスの「喜び」 ~喜びの灯~   加藤 誠

クリスマス物語は「不思議」に満ちています。なかでも天使ガブリエルによってエリサベトとマリアに届けられた「懐妊の知らせ」は通常は起こりえない、信じがたいことでした。ザカリアは「私は老人ですし、妻も年を取っています」と答え(ルカ1・18)、マリアも「どうして、そのようなことがありえましょうか」(同1・34)と答えています。

また、その「懐妊」はそれぞれの夫婦、カップルにとって大きなリスクを伴うものでした。高齢のエリサベトにとっては自らの命の危険を意味し、マリアにとっては律法違反の罪で人々から弾劾を受ける覚悟を求められたからです。

しかし、マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」との信仰で応えました。神はそのマリアを励ますためにエリサベトを用意し、彼女の信仰を支えられました。同時にエリサベトにとってもマリアの存在は大きな励ましと支えとなったことでしょう。そして、二人は「神にできないことは何一つない」という天使の言葉がほんとうに実現していく、最初のクリスマスの「喜び」を体験する証言者とされていったのです。

 

「喜び」には二つあります。一つは、自分がずっと願ってきたことが実現した時の「喜び」であり、もう一つは、自分の考えや思惑をはるかに超える神の計画の実現に立ち会わせてもらった時の「喜び」です。例えば、オリンピックの表彰台が前者の「喜び」だとすると、クリスマスの「喜び」は後者です。そこでは、神の約束への徹底した信頼が求められます。しかし、一人ひとりの人生に対する神の深い愛を受け取り、神の励ましに支えられて立つ時、そこに私たちの思いをはるかに超えるクリスマスの「喜び」が届けられていくのです。