キリストの香り 加藤 誠

3週間前、満開の花をみごとに咲かせていた桜の木々がすっかり新緑のあざやかな緑に覆われています。この4月、朝ごとに園児たちを迎える合間に見上げていると、どの枝も先の方から新緑の若葉が生え出ることに気づき感動しました。木の枝の先に初々しい若葉が芽を出していく姿は、見る者にすがすがしい生命の息吹を注ぎ込んでくれます。いま、世界も日本もさまざまな混乱と不安に覆われていますが、そのような時代にあって、最も厳しく暗い現実にこそ十字架のキリストが働き、神がよみがえりの命を見せてくださることへの信頼をもって、顔を上げ、心を上げて歩みたいと願います。

またこの季節、桜の花びらや萼(がく)が落ちた庭を丁寧に掃き清める仕事に朝の暗いうちから黙々と取り組んでこられた小松延寿兄の働きを覚えます。雨で地面が濡れている時はどれほど大変なことか。せっかくきれいに掃き清めても、風が吹けばあっという間に地面は花びらと萼だらけ。それでも「教会と幼稚園に来られた方に、気持ちよく足を踏み入れてもらいたいから」と、いつもにこやかに楽しそうに、この26年間、教会管理の仕事を担ってこられました。つい先日、教会を訪ねてこられた他教会の牧師が「この人はね、まるで待っていたかのような笑顔で、いつも迎えてくれるんだ」と語るのを聞いて、大井教会の一員としてとてもうれしく誇らしく思いました。

使徒パウロは「キリストの香り」(第二コリント2・15)としてのクリスチャンの務めを高らかに語りながら、同時にその務めを担うにはどれほど弱い者であるかを告白し、ただ神の力によってのみこの務めを果たし得ることを語ります(同3・5)。わたしたちの弱さの中に働き、「キリストの香り」をあらわすのは神ご自身!。いつもパウロを貫いていたこの信仰に学びたいのです。