キリストの光のもとで   加藤 誠

インドネシア滞在中、アルジャジーラの衛星放送がイスラム国に人質となった後藤さん関連のニュースを数時間ごとに繰り返し流していました。特に目が留まったのは後藤さんがシリア入国直前にビデオ撮影した「シリアに行くのはすべて自分の責任であり、何が起こってもシリアの人々に決してクレームを向けないでください」と英語で語りかける映像でした。彼が日本語で語りかけている映像は知っていましたが、英語でも同じ内容の映像を残していたことにハッとさせられました。英語という限界がありながらも、インドネシアをはじめ世界中のイスラム教徒に向けて、彼のメッセージは発信されていたのです。
日本に生活している者は、どうしても日本の現実と利益という視点でしか世界を見れないし、「日本人」という枠で今回の事件を見ます。しかし、後藤さんは日本とはまったく違う現実に暮らす人々の生活、特に戦争によって心と体に背負いきれないほどの重荷を背負わせられている子どもたちの現実に身を置きながら、日本の私たちと世界の人々の両方に語りかけ、両者を「つなぐ仕事」をジャーナリストの情熱をかけて担っていたのだと感じました。

「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。それを教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」(2010年9月、後藤さんのツイッターの言葉)。
後藤さんが取り組み続けた「つなぐ仕事」の意義を覚えたいと思います。彼が残した「それは祈りに近い」という言葉を思いめぐらすとき、キリストの光のもとで、神に委ねるべきことと、人間として自分に何ができるのかを祈りをもって考え続けていくことの大切さを指し示されています。