イエスを背に乗せて   加藤 誠

教会の暦で今日は「棕櫚の日曜日」。主イエスがロバの子に乗ってエルサレムに入城した日です。大のおとながロバの子にまたがるのは、子ども用の自転車に乗るようなもので、実に滑稽な姿です。しかし、あえて主イエスはロバの子を選びます。ロバは馬に比べて体格と走力におとり、戦争に向きません。しかし粗食に耐え、丈夫で雑用を黙々とこなします。ゼカリヤはこう預言しました。「戦いの弓を断ち、諸国の民に平和を告げる王が、雌ロバの子に乗って来る」(ゼカリヤ9・9~10参照)。ユダヤ教で神への捧げものにふさわしくないとされてきたロバを主イエスはあえて選ぴ用いるのです(出エジプト13・13、レピ記11・1~8)。「主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく、人の足の速さを望まれるのでもない。主が望まれるのは主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人」(詩編147・10~11)とある通りです。

日本キリスト教会で長く牧師をされたK先生が伝道師として働き始めた頃、大先輩からこう言われたそうです。「K君、ロバになりたまえ。ロバは小さく、非力で、愚かと言われる。しかしロバには大きい耳がある。イエスが右にと言えば右に、左にと言えば左に進む。神の御言葉をよく聞いて、イエスの命令に従って歩く。イエスを背に乗せて歩むロバのような伝道者になりたまえ」。
今日、大井バプテスト教会のわたしたちは一人の兄弟を西南学院大学神学部に派遣します。兄弟が生涯を通して、イエスを背に乗せて歩む器として主に用いられることを深く祈ると同時に、わたしは誰の言葉に聴いて何を背に乗せて運ぶのか。一人ひとりの献身の祈りをそこに込めて共に「神の同労者」(第一コリント3・9)とされていきたいのです。