わたしたちはどうしたらよいのですか   加藤 誠

「あなたたちは神が遣わされたイエスを殺し、神の前に大きな過ちを犯した」というペトロの説教を聞いた人々は、「わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねます(使徒2・37)。自らの罪とまっすぐ向かい合い、心砕かれた者の言葉です。「べつに、俺たちが直接関与したわけじゃない」と責任逃れも出来たでしょうが、しかし、自分の生き方が神に問われていると気づかされた時、彼らは神に向けて新しい一歩を踏み出すことを選び取っていきました。

言い訳を重ねて神に背を向けたままの歩みを続けるか。それとも「どうしたらよいかわからない」けれど、心も身体も神の方に向けてとにかく歩み出していくか。そのどちらを、わたしは選ぶのでしょうか。

 

今年4月の定期総会で、「沖縄から宣教を考える会」に大井教会として参画し、6月24日の同会総会に代表を派遣することを決議しましたが、そこではかなり熱い議論が交わされました。「沖縄の課題は複雑で、沖縄の人たち自身が苦渋の中に身を引き裂かれるようにして歩んでいる。沖縄に住んでいない者が分かったように論じるべきではない」、「どこまで覚悟できているのか」という意見が出ました。一つの見識だと思います。最終的には「同じ日本バプテスト連盟に加盟する沖縄の二つの教会が、ぜひ対話の場を継続して持ってほしいと声を上げている。大井教会は那覇新都心伝道所の支援教会として歩んだ歴史もあるので、二つの教会の声を聴き続け、わたしたち自身が分からないなりにも考え続けるために、対話の場に参加していこう」という理解で決議へと至りました。「どうしたらよいかわからない」という迷いを抱えながらのわたしたちですが、その歩みが少しでも神に向かうものとなることを祈りたいのです。