わたしたちの間に    加藤 誠

主イエスは「神の国」の福音を宣べ伝えました。

「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1・15

 

「神の国」とは「神の支配」のことですが、当時のイスラエルの民にとってはローマの異教徒たちの植民地とされて屈辱と苦難を強いられている状態から解放されて、「神の民」の正当な地位を回復することを意味したようです。

ファリサイ派の学者から「お前さんは神の国が近づいたとか言ってるが、いったい、いつ来るんだ?」と尋ねられた時、主イエスは「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」と答えました(ルカ172021)。

 その後、主イエスは十字架上で処刑され、紀元七三年にイスラエルはローマ帝国の前に完全に滅ぼされてしまいます。結局イスラエルの民が期待するような「神の国」は実現しなかったのです。とすると、主イエスが「近づいた」と語った「神の国」はいったいどうなってしまったのでしょうか?

 宗教改革者マルチン・ルターは次のように語っています。

 「汝の敵のただ中に、神の国がある。そこで、そのことに耐えようとしない者は、キリストの支配の中にあることを願わず、友人たちのただ中にいようとし、ばらとゆりの中に坐っていようとする。悪人と共にいることを願わず、敬虔な人たちと共にいようとする者である。あぁ、汝ら神を冒涜し、キリストを裏切る者たちよ。もしキリストがそのようになさったとしたら、一体だれが救われたであろうか」。

 ルターの言葉によるなら、キリストの十字架において「神の国」は実現したというのです。その語るところの意味を、今朝、聖書に聴きたいのです。