ひざまずき祈る~スチュワードシップの学び「祈り」~  加藤 誠

「スチュワードシップってどういう意味だろう?」。「奉仕すること?献金すること?」。「日本語にしたらどういう言葉になるのだろう?」。先日の科長会である科長さんがみんなに問いかけていました。

英語で「スチュワード」は、大きなお屋敷の「執事」のことです。屋敷の主人から全幅の信頼を受けて、お金から人の管理まですべてを任されて管理する人です。その「スチュワード」(執事)に第一に求められることは、主人への忠実でしょう。執事は、主人から預かったお金をいくらでも自由に使うことができるのです。こっそりと主人のお金をくすねて、蓄財することもできてしまう。しかし、主人の信頼を裏切ることなく、預かったお金を主人のために使う。どう使うことが主人の意にかなうことになるかを考えて、主人の喜びのために使う。それが「スチュワードシップ」=「執事に求められる姿勢」です。

 

私たちは、命をはじめ、才能、家族、財産、さまざまな出会い、そして時間など、実に多くのものを神から託されています。それを「わたしのもの」として、わたしの喜びのためだけに使うことも、「神から預けられたもの」として、神の喜びを考えながら使うのも自由。神は「自由に使っていい」と、私たちを信頼して預けてくださった。さて、その自由をどう使いますか。とても難しい、正解のない自由です。だから、使徒パウロは「わたしは御父の前にひざまずいて祈ります」(エフェソ3・14)と語っているのではないでしょうか。「愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」(同3・17)と。