その声を知り    加藤 誠

先主日の午後、「新礼拝堂建築の話し合い(パート2)」が開かれました。

新しい礼拝堂に対する各々の思いや率直な疑問など、多くの方の意見を聴き合うことができましたし、田淵設計士がこれまでの設計試案の長所や課題を整理してくださり、一人ひとりの理解が一歩深まった感想を持ちました。

特に池上通り側に向けて、どのようなたたずまいの建物を考えていくのか。幼稚園の子どもたちの安全を確保しながら、教会を訪ねたいと思った人が気軽に入ることができるような建物は可能なのか。そもそも、私たちは何のために新しい礼拝堂を建てるのか。具体的なプランと根本にある動機の間を行ったり来たりしながら、一人ひとりが新しい礼拝堂への思いやイメージを温め、祈りを深めていくプロセスを共に積み重ねていけたらと願います。

 

さて、今朝もヨハネ福音書に聴いていきます。

「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(1011)。「わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」(同28節)。

 聖書は、私たち人間を羊にたとえます。羊は視力が弱く、目の前のものについていく性質がある。同じように、私たちも「自分の好みや感情」を優先し、「目先の幸い」を追いかけては一喜一憂していることのなんと多いことか。

そのような私たちに、「朽ちることのない、ほんとうの幸い」を指し示し導く「良い羊飼い」としてイエス・キリストは来て下さいました。私たち一人ひとりに対して自分の命を賭して責任的に関わり、永遠の命に招き入れるために。「その声を知り、ついていく信仰」(同4節)を今朝、いただきたいのです。