こんな荒野で   加藤 誠

「こんな荒野で、どこからパンを手に入れて、これらの人々に十分食べさせることができましょうか」(マルコ8・4口語訳)。

マルコ八章の「四千人に食べ物を与える」話は普通ではありえない光景です。「こんな荒野で」と呼ばれている場所に、なぜこれほど大勢の群衆が集まり、三日間も何も食べずにイエスたちのもとから離れようとしないのか。
しかし、今や六千五百万人以上と言われる世界の難民の生活状況を思う時、このときイエスの周りに集まった群衆も何らかの迫害や差別から逃れてきて、行き場なく荒野に集まっていた人々かもしれないと想像します。
マルコ六章の「五千人の供食」はユダヤ人群衆に対する奇跡であるのに対し、八章の「四千人の供食」は異教徒の群衆に対する奇跡であると言われています。ユダヤ教徒たちが「豚」や「犬」と同定して軽蔑していた異教徒への差別を主イエスは軽々と超えて、「私は腸(はらわた)のちぎれる想いがする」(8・2岩波訳)とその窮状に想いを寄せ、共に神を礼拝し食べ物を分かち合うのです。このとき「七つのパン」が分かち合われ、「七つの籠」がパンくずで一杯になったと記されていますが、この「七」という数字は神が七日間で天地を創造されたことにちなみ、世界を包む神のあふれる恵みを意味します。

世界にあふれる憎悪と分断の悲しみの中で、教会はいったい何ができるのだろうかと、祈ることをやめてしまう私たちがいます。けれども「あなたの手にあるパンを感謝し、一緒に賛美の祈りを唱えて分かち合おう」と、微笑みながら私たちを礼拝に招く主イエスの語りかけを今朝、聴いていきたいのです。