この道に従う   加藤 誠

使徒言行録によると、当時イエス・キリストを信じる人々は「この道に従う者」と呼ばれていたようです。「この道」。それは主イエスが歩まれた道であり、徹底して神の語りかけに聴いていく、闘いを伴う道です。

サウロは「この道」ゆえに、それまで自分が積み上げてきた輝かしいキャリアを「塵あくた」(フィリピ3・8)と見なすようになります。自分の実績を誇るとき、人は神に従う道を見失うからです。アナニアやバルナバは「この道」に従うゆえに、大きな葛藤を抱え孤立を経験します(使徒9章)。「この道」は人々が通常考える方向とは真逆を指し示し、人々が作り出す「敵・味方の構図」を切り崩すからです。「この人はわたしのことを分かってくれるけど、あの人はわかってくれない」。「この道」はわたしたちが自分を中心に「敵・味方」をより分け、安易に「群れようとする」あり方を厳しく問い、各人が神の前にひとり立って決断をいただいていく道を指し示します。

 

9月第一主日は教会学校の「振起日」。各クラスがその交わりを確認する機会です。一人では祈れなくなり、聖書を開く気もおこらない時が人生にはあります。そのような時に静かに見守り祈り続けてくれる信仰の仲間がいることは本当にありがたいことです。一方、友を覚えてハガキを出すとき、心に留めたいのです。「わたしがこのハガキを書いた」という「わたし」を徹底して消すこと。「主よ、あなたが必要とされるなら、このハガキを用いてください」。教会の交わりは人の力ではなく、神の働きによってのみ起こされることを繰り返し覚えたいのです。「この道」は、徹底して神に栄光を帰していく道です。