『御名』によって  加藤 誠

先週一二月二九日の臨時総会で、私たちは新礼拝堂建築に関する大切な決議をあらわすことがゆるされました。暮れの押し迫った臨時総会に百三十余名の教会員が参加した出来事の中に、大井教会を建て続けておられる神の大きな憐れみを深く示されましたし、約四時間に及ぶ議事に百余名が残り続け、最後の決断に参加したことは大きな恵みでした。

 総会を前にある教会員がこう語っていました。「委員会提案に『賛成』か『反対』かで色分けされるなら、それは違うと思う。いろいろな意見の相違はあるけれど、みんな『大井教会のことを考えている派』のはずだ」。

 また別の教会員はこう語っていました。「新礼拝堂には、みんなそれぞれの意見があり、それを一つにまとめるのは不可能だ。総会を見ていて思うのは、僕らはみんな罪人なんだなぁ…ということ。だからこそイエスさまなしには教会として建てられないということ。そのことが分かるなら、意見がぶつかる中でも、教会として建てられていく希望があるのだと思う」。

 議事の中で大谷恵護先生が「わたしたちの求めをはるかに超えて働かれる方」(エフェソ3・20~21)に対する「神賛美」として新礼拝堂をささげていきたいと熱く語られ祈られましたが、大井バプテスト教会を建てているのは、私たちの祈りでも信仰でも献金でもない、私たちの未熟な信仰に先立って「御名」を知らせ、「御名」の働きをあらわし続けておられる主イエスの熱い祈りと献身です。今朝は、ヨハネ一七章に記された主イエスの祈り~私たちのために今日もささげられている祈り~に聴いていきましょう。