「神の平和」に向けて ~変えられたヨブ~  加藤 誠

わたしたちは「神の平和」の実現を祈ります。しかし、その祈りにおいて「自分こそ変革されなければならない」ことをどれだけ認識しているでしょうか。「神の平和」が地上に実現するプロセス、それはわたしたち一人ひとりが福音において変革され、「わたしの平和」のイメージや枠組みが砕かれ、変えられていくプロセスです。

 

旧約聖書に「義人」と呼ばれたヨブという人がいます。ヨブは神に守られた繁栄と平和を享受していました。が、ある時、愛する家族と財産のすべてを失い、自らも重い皮膚病を負う不幸に突き落とされます。ヨブは始めこそ「信仰的」な言葉を語りますが、次第に神に対し疑問をぶつけ始めます。中でも24章は出色です。世界に満ちている不条理、貧しい人々が他人の畑で過酷な労働を負わされ、裸足で歩き、飢え、夜の寒さにこごえている姿に「なぜ、神を愛する者が神を見ることができないのか」(1節)、「神はその惨状を心に留めてない」(12節)と神の正義の不在を問題にするのです。

ここには、豊かな繁栄を神に守られ、何の疑問も持たずに家族との幸せを享受していたころの「義人」ヨブはいません。彼はもはや一人で立っていません。不条理を強いられている貧しい人たちに連帯しつつ、「神の正義と平和とは何か!」と問いながら神の前に立っているのです。

主イエスは、この「ヨブの叫び」に応える方として来られました。主イエスの御言葉は、「わたし」の祈りを「わたしたち」の祈りに深め、「神の平和」に向けて一人ひとりを変える力を持っています。戦争の愚かさを特に心に刻む8月。「神の平和」に向けて、わたし自身が変えられていきますように。