「感謝」から始まる信仰 スチュワードシップの学び③  加藤 誠

「神への献げもの」はどのような時にするのでしょうか。神さまにかなえてほしい「願いごと」があるときでしょうか。「大きな願いごと」の時にはたくさん献金をし、「小さな願いごと」の時には少額の献金ですませる。これは「自動販売機の信仰」でしょう。投入した金額に見合った「見返り」を期待するわけです。「これだけ金を入れたのに、これしか見返りがないではないか!」となると自動販売機をドンドンと叩いて、「金を返せ!」となる。ここでは神さまは「自動販売機」と同じです。

 聖書の信仰の特徴は、先立つ神の恵みへの「感謝」に始まる点です。祈りにおいても献げものにおいても、「神さま、ありがとうございます」から始まります。すでに十分すぎるほど、あふれるほど恵みをいただいている。困難や試練と思える中にも、悲しみの中にも、神さまの慈しみが注がれている。十字架の暗闇を貫く希望が与えられているゆえに、決して失望に終わることはない。イエス・キリストにあらわされた神の愛。この愛を大切に感謝して受け取る時、他の何ものにも代えがたい安らぎと勇気、笑顔が与えられていく。これが聖書の信仰です。もちろん「お願いごと」をしてもいい。けれどもまずは「神さま、ありがとうございます」と祈り、献げものから始める。神さまをこちらの願い通りに都合よく動かすのではなく、神さまの御心をさらに深く教えてくださいと祈り、献げものをするのです。

 ですから「死」という悲しい別れの時にも、まず「神さまへの感謝」をもって礼拝をささげます。「感謝」から始まる礼拝をささげていくとき、私たちの思いをはるかに超えた神さまの慰めと安らぎ、希望が注がれていくのです。