未来を見つめて  広木 愛

昨年10月半ばに、神学校でお世話になった教授と、この地上でのお別れがありました。ちょっと苦手だったA教授。いつも眉間にしわを寄せながら、学内を重いカバンをもって歩いておられました。学生とも、大人げないくらいに正面からぶつかってくださって、不器用な方法で親身に寄り添ってくださり、愛を注いでくださった方でした。神学校を卒業してから思い出すのは、A教授が語ってくださった言葉ばかりです。

 

十字架を背負って歩むイエスさまの周りにいるたくさんの人たち視線の先には、イエスさまがいます。同じイエスさまを見ているのに、それぞれの立場で反応は全く違う。嘆き悲しむ人もあれば、あざ笑う人、ただ処刑場へと引かれていく姿を見つめている人、侮辱する人、ののしる人、かばう人もいます。

「振り向く」イエスさまのまなざしの先には、何があったのでしょうか。百人隊長の信仰を見て感心してあとに見つめた「群衆」(ルカ7・9)、イエスの足を涙で濡らし洗った「罪深い女性」(ルカ7・44)、サマリア人を焼き滅ぼそうとした「二人の弟子」(ルカ9・55)、三度「イエスなんて知らない!」といったペトロ(ルカ22・61)、嘆き悲しむ「婦人たち」(ルカ23・28)。

「振り向く」という言葉の語源の意味は、腰をひねる。そこから派生して、方向を変える、視線を変える、思いを変えるが加わってきたそうです。イエスさまの隣で十字架にかかった犯罪人の一人は、イエスさまのまなざしの中で、相手を侮辱することはせずに、自分がいかに罪人であるのか、悔い改めへと導かれていきました。イエスさまが「振り向いて」見つめたその先には、楽園―神の喜びの出来事があることを覚えて、イエスさまのまなざしを思い出しながら、イエスさまの受難を共に歩みましょう。