主の待つ家へ   広木 愛

「吹けば飛んでしまいそうな小さなからし種から、鳥たちが羽を休める大きな木へと成長していく。」それを、イエスさまは神の国と譬えました。当時、からし種は、絶対畑に落としてはいけないよう注意作物だったようです。畑に落ちてしまうと、ほかの作物を押しのけて、どんどん成長してしまうからし種。イエスさまは、神の国を「畑を荒らすからし種」に譬えたというのは、ブラックユーモアだったろうと思います。
イエスさまをとおして示された神の国は、ベツレヘムの飼い葉桶から始まりガリラヤという小さな町を経て、ゴルゴタの十字架での出来事へとつながっていきます。飼い葉桶の小さな命から、社会の価値観を揺るがす運動が始まりました。まさに畑を荒らすからし種です。
わたしたち自身、どんなに神さまの愛を受けていても、神さまの福音のために、社会にできることは、小さなことかもしれません。でも、その小さな出来事を、神さまは鳥たちが休める大きな木へと成長させてくださる。教会も、この譬えに当てはまるのではないでしょうか。わたしたちの神さまへの心からの応答は、もしかしたら、からし種のようにほんの小さなものかもしれません。けれども、それを大きな木へと変えてくださるのは、神さまの恵みです。
イエスさまは、インマヌエル(共にいてくださる)の神さまですが、鳥たちが羽を休める木のように、わたしたちが憩う場を備え、わたしたちが憩いに帰るのを待っておられる方なのだろうと思うのです。礼拝から礼拝へとわたしたちの歩みは続きます。疲れや渇きを覚えるときもありますが、わたしたちに与えられている主が待っておられる家、教会でともに集う恵みを喜びたいと願っています。