「もう我慢できないよ」  広木 愛

隣人に出会う旅(横須賀・川崎)にスタッフとして初めて参加させていただきました。その旅を終えてからずっと考えていることがあります。それは、林賢一君という中学校一年生のこと。一九七九年の出来事なのに、二〇一九年の今、起こっていそうな出来事が、ずっと私の心をとらえて離れません。

 

賢一君はクラスメイトから、ヨセフは兄弟たちから、生きていることを喜ばれない存在。そんな二人の姿が重なりました。残念ながら、賢一君の痛みに思いを重ねることはもうできないし、その時にはだれも、その叫びや苦しみに寄り添わなかったし、寄り添えなかった。

ヨセフの兄弟たちは、「父に襲い掛かる苦悶を見るに忍びません」(34節)と、もう父の苦しんでいる顔を見たくないと父の痛みに寄り添い続けています。父のその苦しむ姿を見るたびに、自分たちのヨセフへの愛のない思いだけ、ヨセフを売り飛ばそうとしてしまった(その後生きているかどうかもわからない)という罪悪感を持ち続けなければならない。父の悲しむ姿を見て、ヨセフに対する兄たちの心は変えられていったのではないでしょうか。

 

「もう我慢できないよ」。これは賢一君の最後の言葉。ヨセフの父ヤコブ、ヨセフの兄たち、そしてヨセフにもそれぞれに「もう我慢できないよ」という言葉が聞こえてきます。

74年前の痛みを二度と繰り返さないために、「もう我慢できないよ」と語れるように。だれかの「もう我慢できないよ」にイエスさまが耳と心を傾けたように、その姿に倣う者とされたいと願います。